勾玉の作り方

 

一見、難しそうに思えますが想像しているより簡単に作る事が出来ます。自分の気に入った石がある方は、手作りに挑戦してみましょう。


勾玉の作り方


【材料】

好きな原石

金ヤスリセット

キリ

サンドペーパー

鉛筆

水の入ったバケツ


【作り方】

原石を割って、その中でも小さいものを選びます。

石に鉛筆でデザインして、それに沿ってヤスリを使って素材の一方を丸くします。

もう一方を丸くえぐりながら、勾玉の腹を作ります。

頭となる部分に、キリで穴を開けます。

角を取ったら、全体の形を整えます。

紙ヤスリで、水をつけながら表面を磨いて光沢を出します。

紐を穴に通したら完成です。



勾玉作り体験の所要時間は4060分、料金は800円です

こちらでは、勾玉の販売だけでなく、伝承館工房で勾玉作りを実際に体験できるのがユニークなところ(要予約)。蝋石という比較的加工しやすい石を使い、約1時間もあれば自分だけの勾玉が完成。めのう細工職人が丁寧に指導してくれるので、初心者でも簡単にできます。完成した勾玉を持って出雲大社を訪れるとさらに運気がアップするとか。

自分の生年月日や願い事、目的などを伝えれば、オーダーメイドのアクセサリーの注文も可能。HPからの注文もできます

ほかにも、願い事や目的別に天然石で作られた、オリジナル縁結びブレスレットやストラップ(1,5004.000円程度。石の種類によって異なる)や、縁結びの象徴であるうさぎを天然石でかたどった、天然石うさぎ(1.890円)など、幸せを運んでくれそうなアイテムがいっぱい! 古代から魔よけとして用いられてきた勾玉を手に入れて、幸福を呼び寄せたいものですね。


翡翠は貴重だった

 

勾玉の素材に使われる物の代表に翡翠があります。翡翠は魏志倭人伝に登場し、そこには邪馬台国の女王卑弥呼が人間30人・真珠5000個・緑色の勾玉2個・高価な織物40反を魏に対して献上した事が記されています。他の物と比較すると当時どれだけ翡翠が貴重だったのか分かります。金よりも遥かに高価だったとか。


陰陽とも関係がある?

胎児の形に基づいたと考えられる勾玉ですが、その形を見れば陰陽(月と太陽)を表す対極図と似ている事に気が付きます。この形状と石の力で月と太陽、両方のエネルギーを受けて、多大なエネルギーを与えられると言うのです。


古事記にも登場した出雲の勾玉で幸せをゲット!

花仙山から産出された青めのうを使った出雲型勾玉。深緑色でふっくらとした丸みを帯びたフォルム


雲州平田駅から一畑電車北松江線で電鉄出雲市駅まで約20分、6分ほど歩いた出雲市駅からJR山陰本線アクアライナーで約25分。玉造温泉駅にほど近い「いずもまがたまの里 伝承館」では、パワーストーンをゲットすることができます。スサノオノミコトがヤマタノオロチを退治した後に天照大神に献上し、三種の神器のひとつになったと伝えられる勾玉。近くの花仙山で産出した良質なめのうを使い、現在の玉湯町で玉造職人によって勾玉が作られ、大和朝廷にも献上されていたという歴史が残っているのです。島根の伝統工芸品として、昭和初期には何軒もあっためのう細工工房も時代とともに減り、現在では創業明治30年の「いずもまがたまの里 伝承館」のみが伝統を受け継いでいます。

勾玉が日本以外にあるのは?

 

日本独自の物と考えられがちですが、中国や韓国でも勾玉が発掘されています。中国へは、倭の時代に献上されている事が魏志倭人伝によって記されているのが確認されています。恐らく、そこから韓国や北朝鮮へと伝わったものが発掘されたのでしょう。


弥生時代中期に入ると、前期までの獣形勾玉、緒締形勾玉から洗練された定形勾玉と呼ばれる勾玉が作られ始め、古墳時代ごろから威信財とされるようになった。1993年に東京都板橋区四葉遺跡の弥生末期の方形周濠墓から長さ7.4センチメートルのヒスイの勾玉が出土している。


古墳時代前期の古墳から硬玉ヒスイの勾玉が出土することが多い。大阪府和泉市黄金塚古墳では、大小の勾玉が34個も見つかっている。この内にはヒスイの勾玉が26個が含まれている。古墳出土の勾玉の大きなもので34センチメートルであるが、1912年発掘の大阪府堺市の塚周り古墳(大山古墳の陪墳か)出土の大勾玉は、長さ約6センチメートルである。


古墳時代前期の博労町遺跡から、全国初の2個が背中合わせになったX字形の勾玉が発掘された。鳥取県米子市の博労町遺跡から発掘。産経新聞200844日付より。


天皇家に伝わる三種の神器の一つに、八尺瓊勾玉という勾玉が数えられる。また武寧王陵など韓国内の王墓からも発掘されており、これらは日本から伝来したものという説が有力である。


勾玉の歴史

 

遥か昔、人々は生きる為に犠牲にしてきた獣や魚の呪いを恐れており、獣や貝類を削った物に穴を開けて身に付けていました。その呪いから逃れる為、そして精霊の力を身に付ける為だったと考えられています。


鉄も銅も無い様な時代において、1つの勾玉を作るだけでも大変な労力を強いられていましたが、その効力を強く信じる人達によって勾玉は非常に愛用され続けます。


弥生時代に入ると、それまでの呪術的な意味だけでなく美しさや権力を表すものとしても用いられ始めます。その後、水晶や翡翠などの勾玉が登場しますが、数千年と言う長い歴史の間、思想やデザインは殆ど変わる事な現代にも受け継がれています。


現在では縄文時代極初期の状耳飾りが原型であると考えられており、日本の縄文時代の遺跡から発見されるものが最も古い。朝鮮半島へも伝播し、B.C.6世紀から3世紀初頭の無文土器時代にアマゾナイト製の勾玉が見られる。縄文時代早期末から前期初頭に滑石や蝋石のものが出現し、縄文中期にはC字形の勾玉が見られ、後期から晩期には複雑化し、材質も多様化する。縄文時代を通じて勾玉の大きさは、比較的小さかった。


勾玉

 

勾玉(まがたま)という名前を小学校や中学校の社会の時間に習ったことがあるとは思います。でも勾玉(まがたま)が一体どういうもので、何に使っていたかを習った記憶がないのではないでしょうか。


勾玉(まがたま)とは、縄文時代から存在する非常に古い装飾具で、独特なCの字型、くの字型、コの字型の形状をしているのが特徴です。古代から魔を避け、幸運を授かる物としていました。独特な形は、生命の象徴であり全ての始まりである胎児の形を象ったものと考えられています。


元がイノシシの牙で作られており、石で作られる様になってから形状を真似たと言う説もあります。勾玉は王の証としても用いられ、中には三種の神器に数えられる勾玉もあります。今では、普通のアクセサリー感覚でも身に付けられています。


三種の神器とは

『八咫鏡』『天叢雲剣(草薙の剣)』、そして『八尺瓊の勾玉』の三種の宝を指します。古事記には、スサノオノミコトがヤマタノオロチを退治した後、天照大神から天孫が授けられたと言われます。神器は神の依代を意味し、正当なる継承の際に代々伝えられてきたものです。


現在でも聖なる存在として安置されていますが、壇ノ浦の戦いの際に海に消えたなど様々な説があり、現在の神器はレプリカと言う説もあります。実際、実物は自身でさえ実見を許されていない事から、レプリカ云々所か現存している事さえ危ぶまれています。